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パスツールの弟子 

パスツールの弟子  青野由利

 フランスの「美食の町」リヨンで、奇抜なデザインのホールを目にした。コンサートが開かれる文化施設だが、歴史をたどると別の物語がある。

 19世紀末、細菌学者パスツールの弟子だったマルセル・メリューはリヨンに感染症の研究所を作った。30歳で跡を継いだ息子のシャルルは口蹄疫(こうていえき)ワクチンの大量生産に初めて成功する。ワクチン生産には牛の舌が大量に必要で、ホールはそれを供給する食肉処理場だったという。

 ワクチン作りは工業化され、牛は姿を消したが、今もリヨンは感染症研究の拠点だ。街にはシャルルが私財を投じて作った「P4」施設もある。危険なウイルスが扱える実験施設で、世界から研究者が集まる。

 メリュー家の系譜を引くワクチンメーカーでは鳥インフルエンザや人の新型インフルエンザへの備えを聞いた。逆に難しい質問も受けた。「新型対応のワクチンが開発されても、生産量が足りない。米国は全国民に投与するというが、日本はどうするのだろうか」

 日本の政府もワクチン不足は認識し、これから接種の優先順位を決めるという。いずれにしてもワクチン開発自体がまだ進行中だ。世界の状況は変わらず、米国の目標はあくまで理念らしい。

 01年に94歳で亡くなったシャルル・メリューはさまざまな逸話を残した。74年にブラジルで髄膜炎が大流行した時には9カ月で9000万人分のワクチンを供給したという。新型インフルエンザとの闘いは厳しそうだが負けられない。パスツール以来の蓄積と、世界の科学者の情熱に期待し応援したい。(論説室)

毎日新聞 2006年4月30日 0時47分


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